勉強をまとめた話
今までの勉強をまとめていく
9月ごろから突発的に「勉強しようかな」となってから、素人ながらに勉強したことをまとめてみます。
と言っても買ってやった書籍の紹介程度になります。
1.いちばんやさしいPython入門教室
tkinterを使っていくというものでした。
途中で作るHit&Blowゲームや円を描画して動かしたりするものを自分なりにアレンジして,UIをわかりやすくしたり、機能を拡張させるのは楽しかった。Hit&Blowを対戦型にして友人と遊んだりしたのはプログラム初心者としてはうれしいものだった。よい。
2.ゼロから作るDeep Learning
これはそのままDeep Leraningの書籍。入門としてはとてもよかったです。そしてこのあたりで思い始めました。これやって、どうサービスにつなげたらいいんや?と。
結局わからずじまいで迷走している現在です。
多分プログラミングを勉強するにあたって一番大きい壁じゃないかと勝手に思っている。自分ののPC上で動くものならまあなんとなくわかる。ではサービスの公開や実装となると途端にわからなくなる。この壁をすんなり乗り越えさせてくれる書籍はないものか…
だからというわけではないですが、春休み期間中のインターン募集とかに応募して実業務でのプログラミングを学ぼうとしているところですが、やはり素人ではなかなか見つからない……
ゼロから作るDeep Learning ―Pythonで学ぶディープラーニングの理論と実装
- 作者: 斎藤康毅
- 出版社/メーカー: オライリージャパン
- 発売日: 2016/09/24
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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3.問題解決のPythonプログラミング
paizaで問題を解きながら、こういうの楽しいなと思って買った書籍。全部はまだやっていないがパズル好きとしては楽しい。考え方とかの参考になりました。
問題解決のPythonプログラミング ―数学パズルで鍛えるアルゴリズム的思考
- 作者: Srini Devadas,黒川利明
- 出版社/メーカー: オライリージャパン
- 発売日: 2018/09/22
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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なんか良いと聞いたので(((
書籍としてはこのあたりをやりました。他にもUnityをいじったり、古典制御の事とかやりました。
Python以外ではC言語で微積とか数値解析をやりました。これも楽しい。2年の前期まではプログラミングの授業は嫌いだったのに……すごい成長した。
自分はWeb系よりも組み込みとかなのかな…?と思っています。
勉強したこと(書籍の紹介のみですが)は簡単にまとめたので、今後の目標
今後やりたいことは相変わらずVtuberのプロデュースです。
後はドローンにRasberryPiを乗せてPythonで制御し、認識した人を自動的に追い続けるものを作ろうかなと思っています。
Djangoを使ってwebアプリケーションを作るのも忘れずに…
画像処理とかそういうものを勉強する予定です。あと現代制御とか。
機械学習の勉強を続けつつやっていこうと思います。
とりあえずの目標は2019年夏季の短期インターンに胸を張って応募できるようになること。春季のが見つかれば一番いいんだけどね…
今思うと、何もわからないなりにRasberryPiを使って、気温を計測して、ある温度以上になると、HOT LIMITのリズムに乗せて回るリカちゃん人形(?)を作ったのが本当の始まりだったんだなあ……
あれは狂気の沙汰だった
リカちゃん人形を回す(2017年11月末)→Vtuberを知る(2017年去年11月末)→のじゃおじさん経由でプログラミングの影を知る(2018年1月)→機械学習がどうとか教授が言っていたのを思い出す(2018年8月)→勉強を始める(2018年8月)→今に至る
という感じですかね。1月~8月は神戸大学の編入試験のために勉強をしていて、出遅れた感があるのがいたいですね……落ちた今となっては少し後悔。
勉強しないとムズムズするようになってプログラミングを始めたのかもしれませんね……
では。
お久しぶりです。今年の感想です。
今年の感想は
端的にいって、何もない。
今回の記事はこんな感じでスタートしていますが、珍しく気持ち悪くなるくらい前向きなものになっています。いつものような自分の記事を期待している方は帰ったほうがいいかもしれません。
そしてかなり抽象的でございます。(いつものごとく写真等はありませんよ!)あ、あと記事を書くの7ヶ月ぶりらしい…
では、始まり始まり。
今年は平和で幸せな年でした。
イベントとして言えば、
1月、バーチャルユーチューバーにはまりきると決心する。
昨年10月時点から存在は知っていたものの、たまに見るほどでしかなく、はまるとは思っていませんでした。それが11月、12月では完全にはまってしまい、1月になるころにはその世界に完全に見せられてしまっていました。ちなみに自分はシロさん、アイドル部の大ファンです。
キズナアイさんのファーストライブにも参戦させていただきました。一年の締めくくりにふさわしい……というか、キズナアイさんで締めくくらせていただいてありがとうございます。とすら感じました。
この感想もまたどこかで書きたいですね。
2月、3月。ここは本当に間にもなかったですね。
しいて言うなら編入試験勉強ですかね。
4月、バーチャルユーチューバー、俺も作るか。
という気持ちになりました。このころから、プリセットで簡単に3Dモデルが作れるようになりだしました。自分としてはプリセットで作る気はありませんでしたが、このころは1日100人のVtuberがうまれることもあったほどでした。
5月、我、旅す。
ヒッチハイクで東京に向かい、四天王の一角であるVtuberを運営している、ある会社に伺わせていただきました。詳しい内容はここでは語りませんが、ベンチャー特有の熱量のようなものを感じました。対応してくださったスタッフからも、「楽しい」という気持ちがひしひしと伝わってきました。
きっとこういうところで働くのってきっと楽しいんだろうな、とそろそろ将来のことを考えなきゃならない大学生としては感じました。小並感がすごいですが、今後の人生の方針をある程度変えてくれた出会いであるとは思っています。
そして、この月から勉強でもしようかな、と思い始めました。大学や編入試験勉強ではなく、興味の赴くままに、という意味で。
・・・・・・・・・・・・・・・
うーん。
うーーーーーん。
うぅ~~~~~~~~~~~~ん?????
この記事何がおもろいねん。
それはそれとして、(おい)
何もなかったとは言いつつ、5月まででもすでに、イベントとしては意外と思い出深いものがありましたね。夏とかめちゃめちゃイベントあったしね。
そんな風に思い出してみてもなお、やはり僕はこう思うのです。
本当に・・・何もなかったな。って、
それを何故か考えてみたんです。
その理由
精神的な揺らぎ、質的変化がなかった。
多分これですね。
今までの人生はずっと自分と戦い続けて、どんな自分がこの自分にふさわしいか、そんな争いをして、自分の中身を鞍替えしてきたような、そんな人生でした。(詳しい自分語りはまた後日)
これに関しては、言葉の使い方はいろいろあると思いますが、僕の記事を読もうなんて奇特な方なら、なんとなくわかるんじゃないですかね。
あるべき私、とか、自分探しみたいなものです。
自分はそれが今年の最初か、去年の暮ほどに大体完成を迎えたのではないでしょうか。(完成というものはないにしても)だから一年を通して、何もなかった、そんな風に感じるのではないかと。
総じて今年の感想は……
僕はずっと笑っていられた。とても幸せで、とても情緒に富んでいて、とても愛を感じた。
Vtuber、人の可能性を感じた。
ヒッチハイク、人のやさしさに触れた。
企業訪問、人生の意義を教わった。
編入試験、自分の限界を察した。
抜歯、痛みを知った、、、、いやこれは違うな……
まぁ、なんといいますか、月並みの言葉ではあるのですが、全てに愛を感じていました。
そう、Loveです。ラブアンドピースのラブです。
だからなのかはよく分かりませんが、ずっと自分らしく(?)あれたように思うのです。
ずっと笑顔でいられて、何気ない全てに愛を感じるほど、自分の心は落ち着いていて、質的変化なく、平々凡々とずっと笑っていられたのだと感じています。
なんだ?お前……死ぬのか?と言われそうな臭い文章を書いてしまいましたが、なぜか今年はそんな気分なのです。許してね。
そして今年はとてもご縁に恵まれました。いや、恵まれたというか、育ませていただきました。
かつて連絡を取っていて、今はとっていなかった。という方とまた普通に話すようになったり、完全に縁が切れたと思っていた方とも昔を偲びながら語って夜を明かすこともあったりした。
それだけではなく、もともと仲が良かった方たちとも、縁を深められた。
数年前には想像もできなかった世界に自分は生きているんだ。そんな風にすら思っています。
総じて漠然と感じています。
世界で一番幸せなのは自分だと。
世界で一番愛を受けているのは自分だと。
世界を一番愛しているのは自分だと。
幸せですね、幸せだ。
そんな2018年とももうおさらばとなります。
年末だから変なバイアスでこんなこと書いてんじゃない?と思うかもしれませんね。いや、当然そういうものもあると思います。
でもきっと去年までの自分なら、こんな文章はきっと書かなかった。それだけで意味あるものだと感じています。
そろそろ締めくくりとなりますので、少し言いたかったことを思い出してみます。
来年もよろしくお願いします。
沢山笑っていきましょう!
ありがとう平成最後、ありがとう2018年、ありがとう世界、ありがとう自分。
ちっぽけで矮小なこの身より、精一杯の愛をこめて。
ありがとう、読んでくれて。
笑うと健康にいいってマジ。
努力する必要のある『want to』
どうも、お久しぶりです。
最近、何かを見れば何かをしたい。
そんな適当な感受性になりつつある私です。
viva感受性!!!
というわけでお久しぶりです。
今回のテーマは
努力する必要のある『want to』
僕達はしたいことをするのさ。
want toなんてカッコつけて英語を使ってしまいましたけど、つまるところ、『したいこと』、『なりたいもの』というわけです。
ありますか?
そんな愚問はなしで行きましょう。
あるからお前達はここに見に来たんだ。
したいこと、やりましょう。
したいことをやるために。
したいことをやるために必要なものって一体なんでしょう。
指折り数えていけばきっとキリがないです。
そんなものを挙げていても仕方が無いのでキリキリと行きましょう。
ものによっては必要ない。なんなら基本的には必要ない。でも、必要な場合参入難度が一気に上がる。
それが――
技術
それを身につける必要がある故に、
努力が必須科目となる場合。
私達はそれをやりたいと思わなくなり、『選ばれし人間のみの所業だ』とでも言って諦めます。
それが普通。
だから僕達はずっと普通のままだと言えます。
例えばイラストレーター。
彼らは一様に努力しています。
なった後も努力を続けています。
例えば音楽家。
彼らも毎日音楽に触れています。
なった後も音楽を愛しています。
例えばモデル、例えば小説家……
そうです、努力する必要のある『want to』とは、『職』になり得るのです。
逆に言いましょう。
何でも、努力すれば金になるのです。
ここでシンプルな例を挙げてみましょう。
例えば音楽家。
音楽とはなんぞ?
発祥は部族の祈りとか、その辺だと言われています。
これを先鋭化、体系化、つまり発展させたものが音楽と言えるのです。
どのように発展させたのか、これは議論の余地が残る話ではありますが、どの時代、どの時点においても、終始こんな言葉が交わされていたことでしょう。
「こんなものでいいのか?」
そして
「良くない」
そうアンサーする者がいたのでしょう。
そして彼らは現代において音楽家と呼ばれるに至ります。
つまり私たちには引く理由が無いのだ。
私達が努力する必要のある『want to』を目にして後ずさってしまう一番の理由は何でしょうか?
時間の無駄?
恥ずかしい?
誰もしてないから?
きっとどれもが正解だと思います。
でも、理性的な動物である私達にとって1番の理由はこれです。
『お金』にならなければ意味が無い。
時間の無駄、と似ていると言えるかもしれませんね。
ですが前述した通り、それは言い訳にならない。
お金になる。仕事になる。
なってしまう世界なんだ。今は。
特に最近ではネットが普及しています。
『面白い!』『すごい!』と言ってくれる人はすぐ隣にいます。
その人達に『すごい!』と言わせられればもう目と鼻の先です。
つまるところ、私達は『言い訳』して何かしらを諦めているのです。
私の書いてること、言うこと。大体全部考えてみればわかることです。僕に限らずとも、どんな啓発本においてもそうです。
だったらやっぱり私達が1番したいことって『逃げる』ことなんじゃないかな。
なんてそんなことを考えてしまいますね。
ネガティブになってしまいましたが。
最後唐突にネガティブになってしまいましたが、努力する必要のある『want to』は以上です!
……お金にならない確率もあるよね?
その通りです。
だったらその代わりに『勉強』しているのか?するのか?
という話で、実はこれは『最悪の逃げ』からまだ夢があるかもしれない『体のいい逃げ』に誘導したい。そんな話でもあります。
それに気づけるあなたなら、いろんな意味で大丈夫でしょう。(多分)
ちなみに、そんな私はVtuberをプロデュースし始めました。
私はあてつけに感じる(鋼メンタルを持つ人たちをウザがるだけの記事)
どうもお久しぶりです。
今回はダークな思考で攻めてみましょう。
人間誰しもダークな部分を持っています。なんなら今の一節だけで僕はモヤモヤイライラします。(おい)
というわけで前戯はこの程度にして本番へ。
うっざ。
私は基本的に何でもかんでも当てつけに感じてしまいます。
努力する人を見ても、楽しそうに話す人を見ても、ケータイゲームを楽しむ人でさえも。調子が悪い時は人を見ているだけでイライラします。
理由は明確です。
うざい。もう本当にそれだけ。
なんでその人がうざいかって?
その理由を聞きたい?
いやいや、それは全部後付けですよ。認めます。うざがりたいからウザいのであって、『相手』がどうこうしてるからうざい訳では無い。
ただただウザイ。
視界に入ってくんなよ。
まぁそんな時があるわけです。
確かに。ええ、そうですとも、偏っているとか、歪んでいるとか言っていただいて構いません。
ただこちらもお伺いします。
モヤモヤしねーの?じゃあ、あなた空っぽなんじゃないですか?
うわー、そんなこと言うやついたらめっちゃ腹立つな……
つまりですね、精神的なパーソナルエリアをつんつんされるような感覚を味わい安いのです。
まぁ冗談ははこのあたりでとりあえず終わりましょう。
- モヤモヤする人しない人
モヤモヤする人しない人。
正確に言えば
モヤモヤしやすい人しにくい人ですね。
まずはもやもやしにくい人です。
特徴としては2つ
- コミュニティーが閉鎖的
- 所属コミュニティーで満足している
この2つ「どちらも」兼ね備えている時、モヤモヤしにくい人になりますね。
天才は意外とこのグループに入っていたりしますね。コミュニティーが存在しない場合、条件1を満たしていたりしますし、それを自ら望んでいる時条件2も成立します。
私は天才だったか……(白目)
とりあえずこの条件を見て、私はそういう人だな、と思ったら即座にブラウザを閉じましょう。私がいらいらします!(えー)
まぁ冗談はさておき次。
もやもやしやすい人
こちらは沢山ありますね。というか、もやもやしにくい人に入ってなきゃ皆モヤモヤするんじゃないでしょうか?
ってか普通なんかモヤモヤしますよね、モヤモヤする自分にまたモヤモヤしたり……
まぁそんな悪循環。ありがちすぎる……
- 例えばどんな時?
例えばですね、私はゴミ拾いとか早朝にたまーにしたりするんですよね。
それで、昔は土日の昼とかにして、家に持って帰って親に怒られる…みたいなことをしてたんですけど、昔の自分って馬鹿ですよね……
『ゴミ拾いは全人類のためになるとは限らない』
そんな単純な真実に全く気づいていませんでした。
はい、そうです。
実はここからが本当の本編。
『自分がしてない事を他人にされると当てつけのように感じる』
例えばさっき例にあげたゴミ拾い。
ゴミ拾いしてない人、またはポイ捨てする人が見れば、その行為はむしろ不快なんです。
当時はいいことしてる。という感覚しかなかったですね。バカもここまで来れば笑いものですが。
そう。善行は笑いものなのです。見世物なのです。
他人の善行をみて不快にならないためには、
『あなたも同程度の善行を行っている』か、
『どうでもいい』か、
『できない自分を正当化するために笑いものにする』
この3つのどれかになるしかありません。
ここで出てきます。「もやもやしにくい人」
もやもやしにくい人=ここで不快にならない人
という等式が(ほぼ)成り立ちます。
では照らし合わせていきましょう。
天才は2番目に挙げた「どうでもいい」に所属していますね。まぁここはどうでもいいです。
地域の優しいおじいちゃんおばあちゃんは1番目。
偏見ではありますが、大多数は3番目ですね。
(今善行を素直に行えるあなたの心に直接語りかけています……大丈夫です。誰もあなたを「大多数」なんてひとくくりにしていません。みんなあなたの優しさを知っています)
もやもやしにくい人に対するアンチテーゼ的な記事になってしまいましたね。
話を戻しましょう。
もやもやしにくい人のイメージが掴めてきたでしょうか。
ここで基本に立ち返りましょう。
私のブログの方針は基本的に
『心身が元気じゃない人へのネガティブプログレスの提案』だったりします。
私が今回の記事で取り上げたいのは、そう。
『当てつけに感じる』という事です。
当てつけに感じる。という事をモヤモヤと同一視して話してきました。
つまり?
はい、つまりです。
モヤモヤするのは、他人を見て、その明るさにイライラしているからです。
これを解消したい。
そのための方法とは。
『同程度の明るさを持つ』か、
『どうでもいいと思えるようになる』か、
『哀れだと笑う』
この3つどれかになるというわけです。
答えは委ねたいと思います。
私はこれが正解!というのはないと思っています。社会を歩いていくのにどれが最適か、それは人によって違うからです。人間はは強いから淘汰されずに生き残っているのではありません。自然界は『適者生存』です。
この記事を読むような方は、恐らくそんな考え方が嫌なのだとは思います。
しかし受け止めなければなりません。
『私は優れているから勝つのではない。適しているから笑っているのだ』
そういう言葉があります。(嘘です今作りました)
誰に笑われようと努力するも良し。
何も嗤わない笑われない者になるも良し。
全てを嗤うピエロになるのも良し。
_あなたの心にアイアンクロー。_
クールに行こうぜ。
クールに行こうぜボーイ。
ということでどうも。
一連の騒動の前に(と言ってもTwitterに共有するのは一連の騒動後ですが)見ていただければベストでございます。
ツイートの信憑性と、この記事の価値を保つために、ツイート前に投稿し、Twitter共有は遅らせました。心配してくださった方々に深くお詫び申し上げます。ごめんね。
今回はアンガーマネジメント。
一緒に怒りを管理して、情緒を穏やかにしていきましょう。
怒りというものは自らの信条に反することが起きた時に発生するものと言われており、論理的な思考の先に発生するものではないと言われています。
アンガーマネジメント
はい。というわけでアンガーマネジメント。
具体的な手法として、心理療法的には幾つかあるのですが、結局病院に行くレベルならこのブログ覗きには来ないので、実践的で簡易的な方法論を提示したいと思います。
- 言語化する。
まずは、怒りを言語化してみましょう。それは当人に叫んで怒号する。という意味ではありません。
まずは誰にどれくらい怒っているのか。
それをまとめてみましょう。
- 分析する。
次に分析してみましょう。
怒りは信条に反することが起きた時に発生するものと説明しましたね?
だから信条も心情もすべて含めてつまびらかにしてしまいましょう。
大丈夫です。
あ、ただ、心の中だけで考えるよりも、メモ用紙等に書き出した方がいいと思います。
準備が出来ましたか?
ではやっていきましょう。
誰にどれくらい怒っているのか。
というを先程言語化しましたね。
次は、
誰に、何故怒っているのか。
誰に、何がして欲しかったのか。
誰に、どう変わって欲しかったのか。
等々……
考えていけば沢山ありますね。
それら全てをちゃんと考えましょう。
それ以上に理由がないと思えるまでちゃんと考えてみましょう。
時には生理的に。と処理したくなるかもしれません。ですが、それでは何1つ成長しません。
生理的に。と処理したくなる時はこういった可能性が考えられます。
- コンプレックスを刺激してしまう
- 自分が悪いと分かっている
- 夢に関する現実を知ってしまう(例えでいえば、努力しても追いつけない存在であるとか)
特にこの3つがあげられます。
この3つに当てはまる時が特に厄介で、これを認めてしまうと、辛いです。ただただ辛いです、
だから私達は理にかなっていなくても否定したくなります。つまり怒って、苛立ってしまいます。
だから、月並みの解法ではあるのですが、こう考えるしかありません。
成長の糧
マジで月並みですが、これくらいしかないのも事実です。
それを受け入れられない限り成長できないのも事実で、さらには受け入れなければ自らの怒りも自らに跳ね返ってしんどくなる。これは経験からもおそらく明らかだと思います。
だとしたら私達は受け入れるしかないのです。
自分の弱さや、後悔や、夢を。
それはつまり、今の自分を受け入れてあげることです。
この社会では誰も自分の事を分かってくれたりはしません。
人は往々にして楽しくなるためだけに生きています。
じゃあ誰が自分の醜い部分を認めてあげられるかといえば。
自分しかいないのです。
だから自分くらいは自分の弱さを認めてあげて、許してあげてもいいでしょう。
それを許さないほど、この社会はあなたに興味がある訳では無いです。
では本日はこのあたりで。
ロジカルに行こうぜ。
1連のツイートまでに張った伏線
- 先輩をフォローする建前
- 努力で培ったものなのに、センスによるものだとする評価についてのツイート
- 特定の誰かを嫌いになり、それを周知の事実にする事(板倉さんには大変失礼な事をしました)
1連のツイートの意味
- 先輩等もいる環境での自己表現による、自分への影響の調査
- アンガーマネジメントの実践
- この記事の意味深さを強めたかった
- 友人への「こんなこと」してものほほんと生きられるんだぜ?っていうメッセージ
準備期間は3ヶ月でした。
何度も言うようでアレなんですが、マイペースに生きるってのが1番いいとは思うんです。
できない人のための記事ですんで、あまりこういうことは書きたくないんですけどね。
いわゆる「病む」というものは--
どうも、お久しぶりです。
今回のお題は「病む」というものです。
心理学的見知は少ないので、そういうものを求めている方は回れ右でございます。あと、ガチのマジで病んでおられる方も同じく回れ右でございます。
まずは心療内科を受診することを強くおすすめします。
解決策どうたらこうたらも期待してはいけませんが、私の心持ちが参考になれば幸いです。
目指す方向性としては、私と読み手、「病みやすい人」や、「病んでいる人」に対する自己理解でございます。
では--
病みタイプ
いわゆる「病み」というのにも、タイプが存在すると僕は思ってます。
病状みたいなもので当然ですね。
僕は大きくわけて2つだと思っています。
自縄自縛自傷タイプ
と
外界攻撃自慰タイプ
です。
まずは自縄自縛自傷タイプですが、これは良くわかりやすい。というか、多分友達に一人くらいいませんか?
こんなふうに
「自分がいても他人に迷惑かける……死んだ方がいいんじゃないか……」
まぁ、ここまで露骨ではないかもしれませんが、雰囲気としてはこれですね。
かまってちゃんと思われるものです。
そして、これが大事なのですが、
きっと構ってちゃんなのです。
僕は構ってちゃんですよ。
こういうひと、傍目には「ヒトのことが気遣える、気遣え過ぎて自分に手が回ってない」的な風に見えますよね。いや違うんです。その証拠に、よく分からない1万越えffアカウントとかのメモ帳スクショの「○○な人の特徴」みたいなツイート見ませんか?
ああいった記事はよく出来ていて、自慰のようなものがたったひと手間、リツイートかいいね、でできてしまうのです。
その記事をリツイートするということはつまり「同感」、「同意」することで、「私もそうだよ」と、直接的には言わずともアピールすることが出来る。わかりやすい程に自己顕示欲を、「自分の責任を薄めて満たせる」
かなり意地悪な言い方ではありますが、事実です。
そして、これがまた大事なのです。
「自分の責任を薄めている」
あえてこのあたりで止めて、次は外界攻撃自慰タイプを紹介していきましょう。
彼らの言いそうな文言にこうあります。
「自分に害が及ばないなら何しててもいいけど、自分に関わってくるなら全力で排除するで」
まぁこれもここまで露骨ではないと思いますが、言わんとすることは分かったでしょうか?
しかし、ここで一つ疑問があると思います。
それは、「え?それ病んでんの?」です。
自傷タイプが自慰タイプに忌避感を持っていて、
自慰タイプが自傷タイプに優越感を持っている。
そんな構図が存在します。
しかし、どちらも病んでます。
病んでいる、という事も、対立の構図も、次の一言でイメージできるようになると思います。
外界攻撃自慰タイプは、自縄自縛自慰タイプをちょうど半周だけ回したタイプだ。
そして、何を中心に回しているか……
それが、
「他人への無関心さ」と「責任能力の低さ」
この二つです。
2つなのに中心と言われても…って理系的なこと言うなら、焦点、と言い換えておきましょう。
「あれ?他人への無関心さ?気遣いしすぎて病んでたんじゃ……?」
ってなりますよね。
正直に言いましょう。
あんなの嘘ですよ。
あくまで原点は……の話ですからね?
実際問題は多分過剰に気を遣っているのは事実です。
ですが、原点はそう、他人に無関心で自分の中の「こうあるべきだ、こうありたい」にしか忠実ではありません。あくまで道徳的正解があるからその方向へ向かうだけで、「人に優しくしたい」などという、欲によって突き動かされてはいません。
道徳という概念がなければ彼らの文言は大きく変わっていたことでしょう。
そして、彼らには責任能力が足りなかった。全てを自分の行動故のものだと認められなかった。
だから押しつぶされて「病む」。病んで、責任を果たしたからこそ、私は疲れたのだ。という事をアピールする。
これと逆に、攻撃自慰タイプは他人への無関心さは正直に、しかしそれ故に自分に対してのみは責任能力があるかのように振る舞う。
責任能力を自分と、友人のみに薄めて行使することでようやくあるといえる責任能力ではありますが。
そういう点ではこのタイプは素直で正直なタイプと言える。自分一人か、友人の範囲だけなら守れるけど、それ以外は知らない。と、身の丈にあったことをしています。
ですが、どう考えてもやはり病んではいます。
社会的コミュニケーション能力を絶たねばならない所まで追い込まれている。という言い方ができます。
では、急ぐようですが結論です。
まだ、「病んでるフリ」の人は「自分の行動が故に万事は起こっているので、それをよしとする」ことを心がけてみましょう。そして、正直に、フラットで俯瞰的な目線で自分のことを認識しましょう。自分が「何故」この行動をとるのか、とったのか、とりたいのか。すべて詳らかにしてください。
それで疲れた、疲れる。というならばすぐにでも病院へ行ってください。
普通にガチで病んでいるなら、迷わずに病院へ行きましょう。
少し強引ではありましたがこれを結論とさせていただきます。
ご清聴thx!
昔書いた小説冒頭部分を引っ張り出してみました。
いきなりぽんと、本文置いちゃいますね。
はい。
―Who Are You.―
『3週目、失敗のお知らせです』
意味のわからない校内放送が頭の中を響かせる。
「私は、一体……」
「いや、これが正解だよ」
教室で誰かが呟いた。
涼やかな風が教室を通り抜け、廊下に抜ける。
静かな、誰もいない教室だった。
けれど校内に誰もいないという訳では無い。
時刻は16:50分である『らしい』。
今は放課後であり、生徒達は部活しに外に『出払わせられている』。
「どうして……」
『知っているだろう』
「……」
『Replay』
________________________
9月1日
「嫌味なヤツ……」
夏休みも真っ只中、補習なんてものをとることもなく、塾に通っているわけでもない私だが、9月1日だけは暇ではない。
この日は『私の起源』と言える日であり、この時から全て無為な時間は過ごせない。
確実に効率よく立ち回るために、ルールブックを作るのだ。
「この語りが誰かに聞かれるものだと言うことも、この書き記す行為も、すべて書き記されている」
まずはそうノートに書き記した。
「Replayってなんだよ!! もう一度繰り返せ!? せめてtryって言えや!!」
そんな無駄であるはずの怒号も今や1人のものではない。
『読者』がいる。
『筆者』がいる。
さて、私の『本来の役割から外れる練習』は止めて本題へ入ろう。
例えば、私たちの世界に絶対な神がいたとしたなら。
私たちの意思も行動も偶然さえも、はじめに設定されたパラメータによって生じているだけだと言えるだろう。
ボールAがボールBにぶつかることによって二つは今までとは違う軌道を描く訳だが、それはぶつかる前から決定していた事。ということだ。
さらに言えばボールが存在する以前から確定していたことかもしれない。
いや、『事実そうなのだ』。
しかしこれを信じる人間は少ない。
どれだけ科学を妄信しようと、『予め決められている』という現実は何にも代え難いストレスなのだ。
いや、現代科学では不確定性の原理など、そういった電子や量子にまつわる真の乱数の存在を仮定することが出来ているから『予め決められている』という妄想から逃げ出すことが出来る。あるいはそれも決められていることかもしれないが。
けれど、そんな科学さえも『決められている世界』ならば?
どう抗えばいいのだろう。
唐突に突きつけられた『貴方に設定を付け加えます』という言葉。
その後に続く言葉は酷く痛快なものだった。
『私は読者に挑戦する』
別に私が文学少女ということをアピールしたい訳では無い。
事実、この言葉が誰のどの小説で扱われているかは知らない。ただ聞いたことがあるだけ。
それでも、ひどく痛快だった。
その言葉と同時にこの世界が『筆者』によって作られたものだと、『読者』に期待されているものだと理解させられた。あぁ――ひどく痛快だ。
では、高校生活、やたらと波乱万丈な事が『彼』を中心に起こっていたのはそういう事だったのかと、そんな風に考え始めると何もかもが冷めて見えた。
何もかも空虚に思えた。
かつてそういう『役割』で描かれていたから、今度はこの設定を加えられて描かれるのだろう。
世界を呪う少女が、今度も世界を呪う少女のままでありながら主人公にされる。
『中の世界を呪う少女が、外の世界を呪う少女に』
本当にユニークな皮肉だ。
世界を呪っていた理由も、『彼』が『ヒーロー』である理由も、どんな理由も全て1人の犯人に持っていかれた。
文字通り全てがだ。
仮にだ、私が勝ったとして、それが勝利だとなぜ確信できる?
作られた確信をどうして信じられる?
いいや、信じるとか、疑うとか、そんな次元の話ではない。信じるように設定されることも、疑うように描かれることも、全てが思いのままのはずなんだ。
なのに、やれと。そう『筆者』は言うのだ。
あぁ、呪ってやろう。抗ってやろう。それが私の役割だから。
今は4度目だ。前はどうなった。
『彼』は本当にヒーローだったか。
真実を告げただけで『ヒーロー』を中心にあれだけの『役割』が動き出した。
その結果があれだ。
集団自殺。
教室には誰もいなくなった。
涼しい風と共に綺麗な声の口内アナウンスが靡く。
誰かがこんなことを言い出した。
「今までこの教室で色んなことが起きた。起きすぎた。その異常性は無視できるものじゃない。原因はこの『場所』にあるのかもしれない」
きっと、普通の作品ならば、それで良かった。加速度的に物語は進み出し、解決に向かう。そういうシナリオになっただろう。
だが普通じゃない。
そんな解決策こそ、愚の骨頂だ。その言葉が発せられた時点で終わりへのレールは一本に絞られたと言ってもいい。
確かに今まで『教室』という箱庭を中心に描かれていたものが多かった。
であれば、教室以外のどこかで私達が死ねばすべて終わるのではないか、と。
作品のコンセプトを折る事で解放へ導くという方法。
しかし、どんな因果か、これが『役割』の力か、全員が教室に集まった。
それが前回の悲劇。前回の『筆者の傑作』。
一言にするならば、
・私たちの最高の抵抗は作者にとって、最高の傑作の要素にしかならない。
「……それでも抵抗しない訳にはいかない」
9月1日。
『私は読者に挑戦する』
ノートの最後にそう書き記して、私は動き出す。
――――ヒント――――
・筆者が彼女を選んだ理由は明確にある。
・抵抗は全て傑作のための道具にしかならない。
・それでも抵抗させられる。
・『私は読者に挑戦』しなければならない。
・過去の作品に関わりのない人物はいない。
どうでしょうか、楽しんでいただけたでしょうか。
あなたはこの世界が『筆者』によって描かれた世界ならばどう思いますか?
私はですね。こんなクオリティの高い設定で書いてくれてありがとう。この感謝もこの行動も全てあなたが決めていたとしてもそう思います。
きっとそういう『役割』で産んだと、ちゃんと理解しながら・・・・・・