法的拘束力なし

未必の故意

いわゆる「病む」というものは--

どうも、お久しぶりです。

 

今回のお題は「病む」というものです。

 

心理学的見知は少ないので、そういうものを求めている方は回れ右でございます。あと、ガチのマジで病んでおられる方も同じく回れ右でございます。

まずは心療内科を受診することを強くおすすめします。

解決策どうたらこうたらも期待してはいけませんが、私の心持ちが参考になれば幸いです。

 

目指す方向性としては、私と読み手、「病みやすい人」や、「病んでいる人」に対する自己理解でございます。

 

 

では--

 

 

 

病みタイプ

いわゆる「病み」というのにも、タイプが存在すると僕は思ってます。

病状みたいなもので当然ですね。

僕は大きくわけて2つだと思っています。

 

自縄自縛自傷タイプ

外界攻撃自慰タイプ

 

です。

 

 

まずは自縄自縛自傷タイプですが、これは良くわかりやすい。というか、多分友達に一人くらいいませんか?

 

こんなふうに

「自分がいても他人に迷惑かける……死んだ方がいいんじゃないか……」

まぁ、ここまで露骨ではないかもしれませんが、雰囲気としてはこれですね。

かまってちゃんと思われるものです。

 

 

 

そして、これが大事なのですが、

 

 

 

 

 

 

きっと構ってちゃんなのです。

 

 

 

 

 

 

 

僕は構ってちゃんですよ。

 

 

 

こういうひと、傍目には「ヒトのことが気遣える、気遣え過ぎて自分に手が回ってない」的な風に見えますよね。いや違うんです。その証拠に、よく分からない1万越えffアカウントとかのメモ帳スクショの「○○な人の特徴」みたいなツイート見ませんか?

ああいった記事はよく出来ていて、自慰のようなものがたったひと手間、リツイートかいいね、でできてしまうのです。

その記事をリツイートするということはつまり「同感」、「同意」することで、「私もそうだよ」と、直接的には言わずともアピールすることが出来る。わかりやすい程に自己顕示欲を、「自分の責任を薄めて満たせる」

 

かなり意地悪な言い方ではありますが、事実です。

 

 

 

そして、これがまた大事なのです。

 

 

 

「自分の責任を薄めている」

 

 

 

 

 

あえてこのあたりで止めて、次は外界攻撃自慰タイプを紹介していきましょう。

 

彼らの言いそうな文言にこうあります。

「自分に害が及ばないなら何しててもいいけど、自分に関わってくるなら全力で排除するで」

まぁこれもここまで露骨ではないと思いますが、言わんとすることは分かったでしょうか?

 

しかし、ここで一つ疑問があると思います。

それは、「え?それ病んでんの?」です。

 

自傷タイプが自慰タイプに忌避感を持っていて、

自慰タイプが自傷タイプに優越感を持っている。

 

 

そんな構図が存在します。

しかし、どちらも病んでます。

病んでいる、という事も、対立の構図も、次の一言でイメージできるようになると思います。

 

 

外界攻撃自慰タイプは、自縄自縛自慰タイプをちょうど半周だけ回したタイプだ。

 

 

そして、何を中心に回しているか……

それが、

 

「他人への無関心さ」と「責任能力の低さ」

 

この二つです。

 

2つなのに中心と言われても…って理系的なこと言うなら、焦点、と言い換えておきましょう。

 

 

「あれ?他人への無関心さ?気遣いしすぎて病んでたんじゃ……?」

 

ってなりますよね。

正直に言いましょう。

あんなの嘘ですよ。

 

あくまで原点は……の話ですからね?

実際問題は多分過剰に気を遣っているのは事実です。

 

ですが、原点はそう、他人に無関心で自分の中の「こうあるべきだ、こうありたい」にしか忠実ではありません。あくまで道徳的正解があるからその方向へ向かうだけで、「人に優しくしたい」などという、欲によって突き動かされてはいません。

道徳という概念がなければ彼らの文言は大きく変わっていたことでしょう。

 

そして、彼らには責任能力が足りなかった。全てを自分の行動故のものだと認められなかった。

 

だから押しつぶされて「病む」。病んで、責任を果たしたからこそ、私は疲れたのだ。という事をアピールする。

 

 

これと逆に、攻撃自慰タイプは他人への無関心さは正直に、しかしそれ故に自分に対してのみは責任能力があるかのように振る舞う。

責任能力を自分と、友人のみに薄めて行使することでようやくあるといえる責任能力ではありますが。

 

 

 

そういう点ではこのタイプは素直で正直なタイプと言える。自分一人か、友人の範囲だけなら守れるけど、それ以外は知らない。と、身の丈にあったことをしています。

ですが、どう考えてもやはり病んではいます。

社会的コミュニケーション能力を絶たねばならない所まで追い込まれている。という言い方ができます。

 

 

 

では、急ぐようですが結論です。

まだ、「病んでるフリ」の人は「自分の行動が故に万事は起こっているので、それをよしとする」ことを心がけてみましょう。そして、正直に、フラットで俯瞰的な目線で自分のことを認識しましょう。自分が「何故」この行動をとるのか、とったのか、とりたいのか。すべて詳らかにしてください。

それで疲れた、疲れる。というならばすぐにでも病院へ行ってください。

 

普通にガチで病んでいるなら、迷わずに病院へ行きましょう。

 

 

少し強引ではありましたがこれを結論とさせていただきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ご清聴thx!