私はあてつけに感じる(鋼メンタルを持つ人たちをウザがるだけの記事)
どうもお久しぶりです。
今回はダークな思考で攻めてみましょう。
人間誰しもダークな部分を持っています。なんなら今の一節だけで僕はモヤモヤイライラします。(おい)
というわけで前戯はこの程度にして本番へ。
うっざ。
私は基本的に何でもかんでも当てつけに感じてしまいます。
努力する人を見ても、楽しそうに話す人を見ても、ケータイゲームを楽しむ人でさえも。調子が悪い時は人を見ているだけでイライラします。
理由は明確です。
うざい。もう本当にそれだけ。
なんでその人がうざいかって?
その理由を聞きたい?
いやいや、それは全部後付けですよ。認めます。うざがりたいからウザいのであって、『相手』がどうこうしてるからうざい訳では無い。
ただただウザイ。
視界に入ってくんなよ。
まぁそんな時があるわけです。
確かに。ええ、そうですとも、偏っているとか、歪んでいるとか言っていただいて構いません。
ただこちらもお伺いします。
モヤモヤしねーの?じゃあ、あなた空っぽなんじゃないですか?
うわー、そんなこと言うやついたらめっちゃ腹立つな……
つまりですね、精神的なパーソナルエリアをつんつんされるような感覚を味わい安いのです。
まぁ冗談ははこのあたりでとりあえず終わりましょう。
- モヤモヤする人しない人
モヤモヤする人しない人。
正確に言えば
モヤモヤしやすい人しにくい人ですね。
まずはもやもやしにくい人です。
特徴としては2つ
- コミュニティーが閉鎖的
- 所属コミュニティーで満足している
この2つ「どちらも」兼ね備えている時、モヤモヤしにくい人になりますね。
天才は意外とこのグループに入っていたりしますね。コミュニティーが存在しない場合、条件1を満たしていたりしますし、それを自ら望んでいる時条件2も成立します。
私は天才だったか……(白目)
とりあえずこの条件を見て、私はそういう人だな、と思ったら即座にブラウザを閉じましょう。私がいらいらします!(えー)
まぁ冗談はさておき次。
もやもやしやすい人
こちらは沢山ありますね。というか、もやもやしにくい人に入ってなきゃ皆モヤモヤするんじゃないでしょうか?
ってか普通なんかモヤモヤしますよね、モヤモヤする自分にまたモヤモヤしたり……
まぁそんな悪循環。ありがちすぎる……
- 例えばどんな時?
例えばですね、私はゴミ拾いとか早朝にたまーにしたりするんですよね。
それで、昔は土日の昼とかにして、家に持って帰って親に怒られる…みたいなことをしてたんですけど、昔の自分って馬鹿ですよね……
『ゴミ拾いは全人類のためになるとは限らない』
そんな単純な真実に全く気づいていませんでした。
はい、そうです。
実はここからが本当の本編。
『自分がしてない事を他人にされると当てつけのように感じる』
例えばさっき例にあげたゴミ拾い。
ゴミ拾いしてない人、またはポイ捨てする人が見れば、その行為はむしろ不快なんです。
当時はいいことしてる。という感覚しかなかったですね。バカもここまで来れば笑いものですが。
そう。善行は笑いものなのです。見世物なのです。
他人の善行をみて不快にならないためには、
『あなたも同程度の善行を行っている』か、
『どうでもいい』か、
『できない自分を正当化するために笑いものにする』
この3つのどれかになるしかありません。
ここで出てきます。「もやもやしにくい人」
もやもやしにくい人=ここで不快にならない人
という等式が(ほぼ)成り立ちます。
では照らし合わせていきましょう。
天才は2番目に挙げた「どうでもいい」に所属していますね。まぁここはどうでもいいです。
地域の優しいおじいちゃんおばあちゃんは1番目。
偏見ではありますが、大多数は3番目ですね。
(今善行を素直に行えるあなたの心に直接語りかけています……大丈夫です。誰もあなたを「大多数」なんてひとくくりにしていません。みんなあなたの優しさを知っています)
もやもやしにくい人に対するアンチテーゼ的な記事になってしまいましたね。
話を戻しましょう。
もやもやしにくい人のイメージが掴めてきたでしょうか。
ここで基本に立ち返りましょう。
私のブログの方針は基本的に
『心身が元気じゃない人へのネガティブプログレスの提案』だったりします。
私が今回の記事で取り上げたいのは、そう。
『当てつけに感じる』という事です。
当てつけに感じる。という事をモヤモヤと同一視して話してきました。
つまり?
はい、つまりです。
モヤモヤするのは、他人を見て、その明るさにイライラしているからです。
これを解消したい。
そのための方法とは。
『同程度の明るさを持つ』か、
『どうでもいいと思えるようになる』か、
『哀れだと笑う』
この3つどれかになるというわけです。
答えは委ねたいと思います。
私はこれが正解!というのはないと思っています。社会を歩いていくのにどれが最適か、それは人によって違うからです。人間はは強いから淘汰されずに生き残っているのではありません。自然界は『適者生存』です。
この記事を読むような方は、恐らくそんな考え方が嫌なのだとは思います。
しかし受け止めなければなりません。
『私は優れているから勝つのではない。適しているから笑っているのだ』
そういう言葉があります。(嘘です今作りました)
誰に笑われようと努力するも良し。
何も嗤わない笑われない者になるも良し。
全てを嗤うピエロになるのも良し。
_あなたの心にアイアンクロー。_